保育と発達支援は地続き。保育士・児発管を経てフリーランスへ【小野マサヤさん】

療育のひと 児童発達支援・放課後等デイサービス発達支援

保育士時代のひとりのお子さんとの出会い

ー小野さんが保育の道へ進むことを決めたきっかけを教えてください。

もともと音楽の専門学校に通っていて、ベーシストになりたくて上京したんです。でも家庭の事情で地元に戻ることになり、改めて自分のやりたいことを棚卸ししてみました。
実は学生時代、音楽と保育のどちらの道に行くかで迷っていたんですよね。当時は男性保育士がまだ少なく音楽を選んだのですが、もう一度考えたときに「やっぱり保育の仕事をしたい」と思いました。別の仕事をしながら独学で勉強して保育士資格を取得し、そこから保育園で8年ほど勤務しました。

ー保育士から、どうして療育の道を志したのでしょうか。

保育士2年目に出会った、1人のお子さんの存在が大きかったです。その子は、発達の支援が必要な子で年中クラス・年長クラスで担任として関わらせてもらいました。
とてもチャーミングで魅力あふれる子で、言葉や社会性も、日々のクラスでの経験を通して少しずつ育っていく姿を間近で見せてもらっていました。いたずらに頭を悩ませることもありましたが、そうした時間も含めて、僕はその子との関わりが本当に大好きでした。
しかし、年長クラスになって間もなく、その子とはご家庭での不慮の事故により、突然お別れすることになってしまいました。

ーそうだったのですね……。とても心が痛む出来事だったのではないかと思います。

当時は本当に保育士を辞めようかと思ったほど辛かったのですが、クラスの子どもたちのおかげで、なんとか一緒に立ち直ることができました。
それ以来、発達に特性があったり集団に入ることが難しかったりする子に対する思いが、より強くなっていきました。集団の中でのフォローからさらに一歩踏み込んで、個別や小集団で子どもたちに向き合いたい。もっと専門的に関わりたいと思ったのが、児童発達支援へ転職するきっかけでした。

心と体がリンクして、目の前の子どもが変わっていく

ーその後、児童発達支援の現場で児童発達支援管理責任者(児発管)としてご活躍されています。児発管を目指したきっかけはありますか?

もともと転職先から提案をいただいていたこともありますが、僕自身も「どんな支援をしていくか」という見通しを立て、保護者の方が不安なく施設を利用できるよう説明を重ねる業務に関心がありました。

もうひとつは、今後のキャリアを考えたときに現場に入り続けたいという思いがあったからです。事業所によりますが、僕がいたところは全体の管理をしながら支援にも入ることができました。子どもの姿を直に見ているからこそ保護者に伝えられることがありますし、プレイヤーとして現場に立ちながらマネジメントも行える点に、すごく魅力を感じたんです。「偉くなりたい」というよりも、現場に近い距離でキャリアアップしたい僕にとって、児発管はとても魅力的な選択肢でした。

ー保育園と児童発達支援、現場での意識の違いはありましたか。

芯の部分は大きく変わりません。僕は、保育園時代に持っていた「集団の中でも一人ひとりの気持ちをちゃんと受け止めたい」という思いをそのまま持っていきました。目の前の子がうまく作業ができず、もどかしい瞬間も「できないよね、それ嫌だよね」と寄り添い、一緒に進んでいくスタンスが一番大切だと思っています。
保育と発達支援は別物と考える方も多いかもしれませんが、本来は地続きであるべきです。保育士をされていて「自分の保育観が療育で通用するかな」と尻込みしてしまう先生もいらっしゃると思いますが、保育への熱い思いがあるからこそ、その気持ちを大切に持ってきてほしいと思います。

ー個別支援ならではのやりがいは、どのようなところにありますか?

集団保育では「本当はあの子にもっとこういう対応をしてみたかった」と、もどかしさを感じる瞬間がありました。児童発達支援ではお子さんがコミュニケーションの困りごとを抱えているケースが多いのですが、実際に様子を見ると、体の使い方のぎこちなさや運動への苦手意識など、別の課題が見えてくることも少なくありません。

そんなとき、じゃあ一緒に思いっきりトランポリンしてみようとか、バランスボールをやっていこうなどアプローチを変えてみます。すると、体ができ上がっていくにつれて、周りに積極的に声をかけられるようになったり、情緒が安定していったりする子が多いんです。心と体がリンクして、目の前の子どもが変わっていく過程を感じられるのは、この仕事の醍醐味ですね。

「大丈夫。ここがひとつの居場所なんだよ」を伝えていく

ー現場での支援で、難しさを感じることはありますか?

こちらが準備した活動に、子どもが今日取り組んでくれるかどうかは、蓋を開けてみないとわからないところですね。「今日は絶対にやりたくない」という日もあります。無理にやらせようとすると、子どもにとってはもっと辛い経験になってしまいます。

そんなときは、子どもの今の動きから活動を転がしていく支援をします。例えばハイハイをしていたら、僕の足でトンネルをつくってくぐってもらい、そこからバランスボールへつなげて体幹へのアプローチに移行する。最初の計画とは違っても、その子が発した信号を汲み取ってつなげていくと、子どもも「楽しかった!」と言ってくれます。 今何を求めているかを見極め、それを発達支援のポイントにつなげていく視点を持つと、支援はぐっとおもしろくなります。

ー保護者の方との関わりで意識されていたことはありますか?

児童発達支援は、アセスメントやモニタリングなど、保護者の方と向き合う時間が保育にくらべて大幅に増えます。我が子の発達に悩み、本当に切実な思いでこられた方の気持ちを受け止めながら、一緒に前に進むプロセスを見出すのは難しさもあります。

つい「こういう遊びがいいですよ」とアドバイスをしたくなりますが、僕は一方的に伝えるのではなく、たくさん話を引き出して受け止めることを大切にしていました。保護者自身の子育てでの成功体験を聞き出し、「それは発達支援の視点から見るとこういう意味があるから、すごくよかったと思いますよ」とお伝えする。保護者の言葉の中から、一緒に解決の糸口を見つける姿勢が大切だと思っています。

ー支援の中で、小野さんが大切にされていることはなんでしょうか。

子どもにとっても保護者にとっても、「大丈夫。ここがひとつの居場所なんだよ」としっかり伝えていくことです。大人だけど友達であり、協力者であり、受け止めてくれる人でありたい。「マサ先生の顔を見るだけでワクワクする、会えるとホッとする」と思われる存在でいたいと思ってやってきました。
実は、最初にお話しした亡くなったお子さんの親御さんとは、今年に入って再会し改めてお話をさせていただく機会がありました。その中で、今の自分の活動があるのは、あの子の存在があったからこそだという想いを、お伝えさせていただきました。
そして、時間が経つ中でふと気づいたんです。あの子にかけてあげたかった言葉を、今、目の前にいる特性のある子どもたちに向けて届けているのだと。

個人で福祉サービスを提供するロールモデルに

ー児発管を経験されたあと、独立されて現在はフリーランスとして活動されています。きっかけはなんだったのでしょうか。

福祉サービスは、必ずしも施設に所属しなくても、個人でできることがいっぱいあるんじゃないかと思ったのがきっかけです。児発管の経験を通して個人でできることも増えて、僕が支援の中でやっていたウクレレを使った遊びの活動も、外部の施設から依頼されることが多くなってきました。これまでの経験を活かして、個人でやれればもっと自由度が上がると思ったのが独立のきっかけです。
また、人間関係などで悩んでいる先生たちに対して、組織に所属するだけがすべてではないという、ひとつのロールモデルになりたいという思いもありました。

ー保育士・児発管としての経験が小野さんの選択肢を広げられたのだと感じます。最後に、今後の目標を教えてください。

今はウクレレ遊びの外部講師として、毎日違う保育園や児童発達支援の施設をまわっています。他にも保育士さん向けの研修や、保護者向けの子育て相談などもやらせていただいていて、これまでの経験がすべてつながっているような状態です。
今後は、このウクレレのリズム遊びをひとつのメソッドとしてつくり上げたいです。作業療法士さんと提携して専門性を取り入れ、どんな意図がある遊びなのかを伝えながら、発達支援と保育をくっつけていくような活動を広げていきたいと思っています。

(撮影:櫻林栄吉、文・編集:コドモン編集部)

小野さんが主催している幼児教室
教室名:こもれびリズム~そだちのタネ~

<撮影協力>
武蔵野もみじの森保育園

※2026年2月27日時点の情報です

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