今回お話を聞いた方
保育士だった母の影響です。私が園長を務める今の保育園を母である日髙よしが設立したのは昭和7年で、「保育園」がまだ法的に制度として位置付けられていない時代でした。大の子ども好きで、困っている人を放っておけない性質だった母は、看護師として働いて貯めたお金で、この園を設立したのです。
そんな母の姿を見て育ったものですから、息子である自分もいずれは保育の道に進むのが当然だと思っていました。
とはいえ、まっすぐ保育の世界に進んだわけではありません。私が高校生だった昭和34年に伊勢湾台風という災害が起きたのですが、懸命に救助活動をする自衛隊の姿に感銘を受け、高校卒業後は自衛隊に入隊し、陸上自衛隊員として3年間を過ごしました。任期途中からは並行して大学に通い、社会福祉士と保育施設の園長となるための資格を取得しました。
自衛隊を辞めた後は、「遊具もつくれるようになれたら」と思い立ち、新潟の長岡にある遊具制作会社に入社しました。そこで5年ほど経験を積み、遊具制作の技術を身に着けたのち、30代半ばの昭和53年に母が運営する今の園に入職しました。今の園庭にある遊具はほぼすべて、私がつくったものなんですよ。
子どもが遊ぶものですから、当然ながら安全面にはしつこいほど気を使っています。どう遊ぶか、どこで足を引っかけるか、怪我の心配はないか、すべてを徹底的に想像しながら設計したので、どの遊具も思い入れがあります。
ものづくり全般は昔から好きでしたから。自衛隊入隊も遊具制作の会社に入ることも、私にとっては自然な流れでした。それに、どんな選択をしようとも、ゆくゆくは母の保育園を自分が継ぐのだという思いはずっと胸にありました。
私が保育園の先生方や保護者に繰り返し伝えてきたことは、たったひとつです。それは、「子どもは愛して育てればいい」ということ。親も保育士も、「教育しなければ」などと立派なことを考えると、あれをしなさい、これをしなさいと命令ばかりになっちゃうでしょう?
そうではなくて、小学校に入るまでの間は、ただただ可愛がって、ゆっくり愛して見守っていけばいいのです。そこから先はもう、子どもが自分の力で育っていきますから。
そのとおりです。子どもは本来、みんなそれぞれに異なる素晴らしい力を持っています。それなのに、一人ひとりに同じやり方を押し付けてしまったら、その子がせっかく持っている力が潰されてしまう。これは私が長年、保育の現場を見てきたからこその実感です。
だから、ただ愛して育てればいい。母から受け継いだこの保育園は、移転や改築を繰り返しながらも今年で創立93年目ですが、時代が変わってもこの保育理念は変わりません。
たっぷりの愛情をもって接すれば、その思いはきちんと子どもたちに伝わります。当園は、年に一度、卒園生たちとのキャンプを恒例行事として続けているのですが、小学生はもちろん、中学生、高校生になっても参加してくれる子どもや保護者がたくさんいるんですよ。
小学校1~3年生までは九十九里海岸近くの保養所で、小学4年生から高校生は神奈川県の丹沢山地で毎年キャンプをしています。
また、成人を迎えた卒園児をお祝いする「二十歳の会」も開催しています。卒園児や保護者、職員が久しぶりに会える貴重な場として毎回大いに盛り上がっていますね。親子二代、三代でこの園に通ってくれる家庭もありますから。
この保育園から巣立っていった子どもが、大人になって保育士となり、「好きな先生とのいい思い出があったから」「この保育園の先生が好きだったから」という理由で再びこの園に戻ってきた事例も数え切れないほどあります。子どもは、自然と好きな大人の真似をしますから。「先生のようになりたい」と憧れて戻ってくれたのであれば、これほど嬉しいことはありません。
長く勤めてくれている先生が多いのも当園の特徴です。主任の先生は30年、給食室の先生も30年以上、ずっとここで働き続けてくれています。他にも定年退職された前主任の先生は、絵の指導者として毎週、園に来てくれています。
どこの保育園もその雰囲気に合う・合わないがありますから、きっと雰囲気が合う人が自然と長く残ってくれるのでしょう。そのあたりはご縁だと思っていますから、合わない職員を無理に引き止めるようなことはしません。
そういう意味では、保育士の先生方も自分に合わない園に無理に勤め続けるのではなく、自分に合うと思える園を探すほうがいいのかもしれません。
私から現場の先生たちにあれこれ指示を出すようなことは今までも一切していません。「ここはこうすればいいのに」と思う場面があっても、基本的には信じて見守る。その上で、「どうしても困っていることがあったら仲間に相談してチームで解決するといいよ」とは常日頃から伝えています。子どもたちと一緒で、そうすることで先生たちもきちんと育っていきます。信じて、任せて、見守っていく。それが私のやり方です。
昭和58年から保育に和太鼓を取り入れてきましたから、もう40年以上になりますね。今、講師として子どもたちに教えてくれている和太鼓の先生は、初代の講師の娘さんですから、親子二代にわたってお世話になっているんですよ。
4歳児クラスの後半から少しずつ練習を始めていき、5歳児クラスでは週に1回、遊戯室で約1時間の練習を重ねていきます。毎年、地元のさまざまなイベントにお招きいただいて発表する機会が多いので子どもたちも真剣ですし、緊張感や達成感を繰り返すことでたくましく成長していきます。
この園の子どもたちは、赤ちゃんのときから園舎に響く和太鼓の音とリズムに親しんでいます。ですから、5歳児クラスになって本格的な練習が始まる頃には、すっかりリズムが体に入っている子がほとんどなんですよ。
3歳児以上のクラスでは体育と音楽を融合させた「天野式リトミック」を実践しています。リズムにあわせて体を動かしながら、右手と左手、足でそれぞれに別々のことをしたりするのですが、意外と難しいので大抵の大人にはとてもできませんよ(笑)。でも子どもたちは自然とできるようになるのです。リズムは、頭ではなく体で覚えるものですから。そこは和太鼓と同じですね。
途中入園してきた子も、毎日聴いているとすぐにできるようになります。そんな頼もしい成長の姿を見るたびに、「やっぱり子どもはすごい」と実感しますね。
最近では、行事のときだけ集中して○○を教えるという園が増えたと聞きますが、私はそのような方針にはあまり同意できません。子どもは覚えるのも早いですが、忘れるのも早い。だからこそ、地道にコツコツと継続していくことが何よりも大切だと思っています。それに、楽しく体を動かすことで、リズム感や集中力も育ちますから。
なかには保護者の目を気にして行事を盛りだくさんに詰め込む保育園もあると聞きますが、現場の先生方はもちろん、子どもたちも準備に追い立てられる日々が続くと疲弊してしまうのではないでしょうか。
子どもに正しいことを教えようと気負うのではなく、まずは子どもを「好き」になりましょう。子どもは、大人の感情に敏感です。「好き」が伝わる相手には心を開いていくけれども、そうでない相手には振り向いてくれません。まずは、愛する。そうすると言葉や表情から、自然と愛が伝わるはずです。教育とは一方的に上から教えるのではなく、そんなふうに自然に伝わっていくものではないでしょうか。
私たちの保育園は、「変わらないこと」を大切にしています。怠けるという意味での現状維持ではなく、毎日を丁寧に積み重ねていくこと。目新しいことをしなければ、といった焦りは今の私にはまったくありません。先生方の優しさや子どもへのまなざしがあれば、それだけで十分。愛をもって子どもに接することが何よりも大切だからです。
私はもう83歳ですから、園長として現場に立っていられる時間はもうそれほど長くはないかもしれません。しかし、保育の志は副園長である次男が受け継いでくれていますから、この先は若い世代に託していきたいと思っています。
最近の私の日課は九十九里にあるキャンプ場の草むしりなんですよ。もうすぐ卒園生とのキャンプの日が近づいているので、せっせと草刈りに通っては整備しています。「こうすれば子どもたちは喜ぶかな?」「ここは危ないから気をつけよう」と子どもたちのことを思いながら手を動かすのは、もはや私の趣味のようなものですね。子どもたちが元気に走り回る姿を想像すると、どんなことも苦にならないのです。
(文:阿部花恵、撮影:中村隆一、編集:コドモン編集部)
日髙先生が働いている園
施設名:院内保育園
形態:認可保育園(90名)
設立:1932年
所在地:千葉県千葉市中央区院内2-5-6
※2025年5月29日時点の情報です
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