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「あそこに行けばなんとかなる」場所でありたい。地域をつなぐ療育を30年【柳澤健一さん】

療育のひと 児童発達支援・放課後等デイサービス発達支援

高校時代のボランティアから福祉の道へ

ー柳澤先生が療育の世界に入られたきっかけを教えてください。

高校生のときにボランティア活動をしていたことが始まりですね。当時はまだ放課後等デイサービスなどの支援がまったくなくて、障がいのある子どもたちが遊ぶ場所や余暇の過ごし方が少ない時代でした。そんなとき、同級生のご家族に支援が必要なお子さんがいたご縁でイベントに呼ばれたんです。人が足りないから手伝ってくれないかと声をかけられて、じゃあ行ってみようかなと。

それがきっかけになって、高校生・大学生だけのボランティアグループをつくって、放課後や日曜日に一緒に遊んだり、登校支援などを行っていました。今思うと、セキュリティの面も含めてずいぶんのんびりとした、なんでもありな時代でしたね(笑)。

ーご自身で立ち上げた団体で活動されていたのですね。

大学も福祉系に進むことにして、その頃からとにかく「早く現場に出たい」と思っていました。高齢者や大人向けの施設にも行きましたし、特別支援学校や支援学級の行事のお手伝いなど、長期の休みになるといろいろなところに呼ばれて行っていましたね。知的障害者更生施設などで、利用者さんのお仕事の納期が間に合わなくて、「柳澤さん、きてくれない?」と声をかけられて、月末になると一緒に作業を手伝ったりもしていました。

ーさまざまな場所で活動するなかで、なぜ幼児を専門にすることにしたのですか?

理由はシンプルで、やっぱり幼児期の子どもたちがかわいかったからです。これから育っていく時期でもありますし、まだ誰かと遊んだり、やりとりしたりできないような姿から、だんだん言葉が出てきたり、いろいろなことができるようになっていく。まだ言葉が話せない子どもたちと心が通じ合って仲良くなっていくプロセスが、ものすごく楽しかったんです。子どもたちに、この世界に引っ張ってもらったような感覚ですね。

公務員としての現場経験と、現場を離れた1年間が教えてくれたもの

ー大学を卒業されてからは、どのような道を歩まれたのでしょうか。

大学を卒業したあとは、ある市の公務員になりました。市がそれほど大きくなかったので福祉職としての専門採用枠ではなく、一般事務職としての採用だったんです。ただ、学生時代の実習先でもあった、今でいうところの児童発達支援の施設で「指導員が足りない」という話で。私は福祉系の学校を卒業しているので児童指導員扱いになるということで、半ばそこに行くつもりで市に入職して、そのまま現場配属になりました。

ー実際に職員として働いてみていかがでしたか?

最初は私より保護者の方たちのほうが子どもたちに関わるのが全然上手で、「先生、少し上手になってきましたね」なんて言われながら勉強させてもらっていました(笑)。私自身の現在の家族支援の考え方も、全部そのときの保護者のみなさまから教えていただきました。

サービス管理責任者の制度ができた2006年頃からは、事業所にひとり置かなければいけないという必要に迫られて自然と資格を取得し、それから約20年間、サービス管理責任者・児発管として活動しました。

ー長く療育に携わるなかで、一度現場を離れた時期があったとお聞きしました。

公務員ですので、ルールによる異動を避けることはできません。長くひとつの現場にいたこともあって、1年間だけ別の課に異動することになったんです。療育の現場から離れたその時期は、正直とても寂しかったです。

ただ、ありがたいことに保護者のみなさまの応援もあって、1年で元の施設に戻ることができたんです。私自身も「やっぱり自分は療育の世界で生きていきたいんだ」という強い思いをはっきりと自覚する機会になりました。

卒園後も縦・横につながる場所を。民間での事業所の立ち上げへ

ーそこから民間に移り、現在の事業所を立ち上げられた背景には何があったのでしょうか。

公立の施設はやはり制約が大きいですし、どうしても数年ごとに異動の懸念がつきまといます。そしてなにより、子どもたちが卒園して小学校に入った途端に相談先がガラッと変わってしまい、幼い頃の育ちをよく知っている大人が誰もいなくなってしまう。その課題をどうしても解決したかったんです。

ちょうどその頃、今いる法人から児童の事業所を立ち上げたいという話があり、就学したあともずっと付き合っていける「縦のつながり」と、地域の子どもに関わる事業者同士の「横のつながり」の両方を支援できる場所をつくりたいという自分の思いと合致して、放デイを併設した児童発達支援センターを民間で立ち上げることになりました。

ー公立時代とくらべて、民間の事業所ならではの変化はありますか?

やはり、民間だからこその自由度の高さと、フットワークの軽さがあります。子どもたちが通う幼稚園、保育園、学校に合わせて柔軟な対応ができます。あとは、事業所外の仲間がものすごく増えました。今も、同じ児童発達支援や放デイの事業所連絡会を、私たちが中心になって行っているんです。そうした顔の見えるつながりや、地域の幼稚園や保育園の園長先生方との関わりなどもあり、民間に移ってからの10年間は、私にとって非常に濃いものになっています。

時代と共に変わる家族支援と、今も変わらない親の戸惑い

ー柳澤さんの事業所では親子通園を基本とされているそうですね。

はい。今は預かり型の事業所がたくさんあって、時間を割くのが難しいご家庭もありますが、小さいうちから預けっぱなしにしてしまうと、子どもとどうやって過ごしていいのかわからないという方も多いんですよね。親子で通所する中で「こんなふうに過ごしていけばいいんだ」ということを直接感じてほしい。だから親子通園をベースにしています。

ー長く支援をするなかで、保護者を取り巻く環境に変化を感じることはありますか。

昔はネットもSNSもなかったですから、同じ地域に住む保護者同士が直接会って、ものすごく逞しくつながっていました。「この子を育てるのがつらい」となったら、「なに言っているの、そんなにつらいならうちへ連れてきなさい」と言い合えるような逞しさ。道なき道を自分たちで切り開いていくようなパワーがありました。

今は逆に、SNSで情報は溢れているけれど、どうやって我が子と遊んでいいかわからないという、基本的な関わり方に困られているご家族も多いです。一般的な子育ての土台となる部分から一緒に支えていく必要性をいっそう感じています。また、選択肢が増えたことで、適応が苦手な子どもが3箇所も4箇所も事業所に通って、始まりの歌が3つあったり、ロッカーの場所がバラバラだったりして混乱しているという矛盾もあります。

ーそうした変化がある中で、時間が経っても変わらないことはありますか?

家族を取り巻く環境が変わっても、初めて我が子の障がいに直面したときの親の戸惑いや、そこから少しずつ我が子を理解して元気になっていくプロセス自体は、今も昔も変わりません。トイレトレ-二ングが成功して「先生、育児が楽しくなってきました」と笑顔になる瞬間。そして保護者同士で大変さを共有するなかで、「うちの子のほうが動き回る」「いやいや、うちは家から出ていっちゃう(笑)」と、お互いの大変さを半分冗談混じりに言い合って、笑い合える関係。そういう関係性がつくれる場所が身近にあることが、なにより大切なんだと思います。私たちはいつも、今日ここで過ごした時間が、明日への楽しみにつながってほしいと願っています。

「待つ」ことをしなければ、出会えなかった瞬間

ー子どもたちと向き合う上で、柳澤先生が大切にされていることを教えてください。

子どもたちは支援が必要な子である前に、まず「子ども」なんですよね。だから、幼いうちに「好き」をいっぱい増やしてほしい。好きな人、好きな場所、好きな遊び。子どもにとっては遊びが仕事です。そしてその「遊び」は、成長するにつれて「趣味」になり、大人になれば「余暇」と名前を変えていきます。自分の余暇の過ごし方を持っている人、遊べる人というのは、大きくなっても本当に強いんです。

子どもがよくやるいたずらも、大人から見たら困るものですが、子どもにとっては必要不可欠なお試し遊びなんですよね。「ダメ!」と大人がすぐに止めてしまうのではなく、その好奇心を次のステップにつなげるためのサポーターになってほしい。大切なのは、成功体験をかさねる手助けをすることです。そして、とことん付き合ってあげること。

ー事業所のサイト上のコラム「おやつのじかん3」のなかでも、日常のなかでの「待つ」という姿勢について綴られていましたね。

子どもと向き合う上で、大人が「ちょっと待つ」という姿勢はものすごく重要です。 ある日、園庭のアスレチックの上にいる子どもに「おいでよ」と両手を差し出したことがありました。すぐにリアクションはありません。それでも手を差し伸べたまま、しばらく待ちました。10秒もない時間です。するとゆっくりと向きを変えて、私に向かって倒れ込んできてくれた。温かいスキンシップが生まれたんです。あそこで待つことをしなければ、出会えなかった瞬間でした。

ー待ったからこそ、その瞬間が生まれたのですね。

またある日の午後、放デイで子どもにパズルを渡そうとしたとき、ピースが袋の中でごちゃごちゃになってしまいました。「ちょっと待ってね」と慌てる私を、その少年は数秒の間、じっと待ってくれたんです。就学前から関わっているその子が、大人の都合を「じっと待てるようになった」ということに、胸が熱くなりました。数秒待つ、待ってもらう。その小さな「待つ」という姿勢があるだけで、子どもの育ちの階段を一つひとつ、一緒に確かめ合っていけるのだと思います。

大事なのはフットワーク。学校・医療・福祉をつなぐ地域連携事例

ー先ほどお話にあった、事業者同士の「横のつながり」についても教えてください。

就学前の幼稚園や保育園との連携は、最近かなり深まってきています。ただ、就学して学童期、通常の学級や支援学級の先生方との連携となると、まだまだ「放デイや療育施設ってなにをするところなの?」という認識だったり、引き継ぎの重要性が十分に理解されていなかったりという課題があります。先生の異動でそれまでの連携がリセットされてしまうこともありますね。

そんな状況を受けて、狭山市で数年前から始めたのが「地域連携シート」です。この子どもがどこで、どんな支援を受けているのか、相談員さんは誰で、どこの放デイに通っていて、プールや習い事はどこか。それを1枚のシートにまとめています。

ー事業者の壁を超えて横でつながる仕組みをつくられたのですね。

教育の現場に入り込むのはなかなか難しかったのですが、このシートは支援者が管理するのではなく、家族が起点となって子どもが関わっている場所に配る仕組みにしています。

横の連携が大事だということは、誰でも口では言えます。でも、実際のネットワークづくりに必要なのは、外へ出ていくフットワークなんです。事業所にじっと座っていても、何ひとつ情報は手に入りません。実際に外へ出ていき、学校や医療、地域の中を動き回ってつなぎ合わせていく。その姿勢が、これからの療育には欠かせないと感じています。

児発管は子どものいいところを代弁する支援の要

ー柳澤先生ご自身の、今後の目標についてお聞かせください。

これまで色々な役割を経験させていただきましたが、私はやっぱり現場が好きなんですよね。改めて、一つひとつのケースに真摯に向き合い続けたいと思っています。あとはやっぱり、「地域」って大事ですよね。幼稚園や保育園、学校など、福祉の枠を超えた地域全体で、子どもたちやご家族が過ごしやすくなるための「移行支援」や「地域連携」のお手伝いをしていきたいですね。

ー最後に、これから児発管を目指す方に向けてメッセージをお願いします。

支援者には、「困ることはいっぱいあるけれど、あそこに行けばなんとかなる」とご家族が思える場所を地域につくっていくこと。そして、子ども一人ひとりの「いろいろあるけれど、この子にはこんなによいところがあるんだよ」という輝く姿を見つけ出し、地域や社会に向けて代弁していくことが必要です。そして、そんな家族の安心を支え地域と支援をつなぐ要が児発管なのだと思うんです。

児発管というのは、目の前のことだけでなく、そのお子さんの少し先の未来や生活全体を見据えながら、必要なサポートをつなげていける存在です。だから、目の前の「この子のこの行動をどうしよう」「今のこの問題をどう解決しようか」といったことに焦って、視野を狭めないでほしいと思います。「こうあるべき」という型にしばられず、それぞれが持っている得意技や、これまでの人生で培ってきた経験値、個性を最大限に活かして活躍していただきたいです。

(撮影:櫻林栄吉、文・編集:コドモン編集部)

柳澤さんが働いている施設
施設名:児童発達支援センターあんず
形態:児童発達支援(定員:1日14名)
設立:2016年
所在地:埼玉県狭山市東三ツ木223-26

※2026年6月1日時点の情報です

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