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「おんぶして」と差し出した小さな手が教えてくれた、チーム支援の大切さ【栗原惇さん】

療育のひと 児童発達支援・放課後等デイサービス発達支援

どうしても消せなかった保育と福祉の選択肢

ー栗原さんが保育や福祉の道を志したきっかけを教えてください。

正直にお話しすると、高校時代の自分はかなり尖っていまして。先生に紙飛行機を投げたりするような、いわゆる「手のかかる生徒」だったんです。3年生になって進路ガイダンスが始まったときも、本当は行きたくなくて。教室で友達と喋っていたいな、なんて思っていました。

でも、どうしても出席しなきゃいけないというところで、消去法で選択肢を削っていったんです。政治経済は嫌だ、商業も違う……そうやって消していって、最後に残ったのが保育と福祉でした。不思議と、その二つだけは消す理由がなかったんです。

ーなぜ、福祉と保育は消す理由がなかったのでしょうか。

今振り返ると、幼い頃の記憶が影響していたのかもしれません。私の母は再婚しているのですが、再婚相手との子ども、つまり私にとっての弟や妹を産んだあとの母が、すごく大変そうに見えた時期があったんです。子どもながらに「助けたい」と思ったし、どこかで「自分がヒーローになって守らなきゃ」という憧れのような気持ちがあったんだと思います。

実際に保育のガイダンス会場に行ってみたら、当時はまだ女性が主役の時代でしたから、女の子が10人くらいいるなかに男の私がポツンとひとり。隅っこで「嫌だなあ」なんて思いながら座っていたのが、私のキャリアのスタート地点ですね。

保育園で出会ったあの子のその後を知りたくて

ー専門学校を卒業後、まずは保育士としてキャリアをスタートされていますね。

はい。最初の園は規模が大きく、1歳児が40人近くいるクラスに配属されました。勤務時間が長くおんぶ紐が腰についていないだけで怒られるような、今思えばなかなかに厳しい現場でした。それでも「石の上にも3年」と思い、結局4年間勤めました。

当時は、子どもたちが懐いてくれるのが何よりのやりがいでしたね。40人いれば、ひとりくらいは特別に頼ってくれる子がいる。その子のために月曜日には新しい情報を披露したくて、休みの日はEテレや特撮、プリキュアまで観ていました。周りの大学生が飲みに行っている間、私はひとりで戦隊ヒーローの情報を必死に集めて、子どもたちのためのアンテナを張る日々でした。

ーそこから、療育の世界へ移られたのはどうしてですか。

保育士として最後に持ったクラスで、配慮が必要なお子さんを専属で担当したことがきっかけです。その子は卒園したあと、一体どこに行くんだろうという疑問が湧いたんです。発達に特性のある子たちは、どんなルートをたどるのか。

自分自身でその道を確かめてみたい、どういう支援が必要なのかを知りたい。その一心で、放課後等デイサービスの世界へ飛び込みました。

ー療育の現場で働くなかで、児発管を目指された経緯を教えてください。

一番は、その子のために自分が支援の道筋や地図を描きたかったからです。保育士として療育現場で働いていると、児発管の方針に疑問を感じることがありました。

アプローチの意図が現場に共有されないまま、マニュアルだけを渡されて「これをやって」と言われる状況に、若き日の私は強い違和感を抱いていました。だったら、自分がコンパスを持って、子どもたちの進むべき方向を指し示せるようになりたいと思ったんです。

ー児発管の資格取得までは、かなり苦労されたそうですね。

そうですね。私の時代は今とくらべて施設の数が少なく、1施設にひとりしか枠がないので、なかなかチャンスが巡ってこない。どうしても資格を取りたくて、新規オープンの施設を探して場所を転々とした時期もありました。そこまでしてでも、自分が計画を立てる側に立ちたかったんです。もちろん責任は伴いますが、児発管になって後悔したことは一度もありません。

(今日のおやつは焼きそば。「熱くても、試してみる。子どもたちの経験を大切にしている事業所です」)

チームで関わり、「おんぶして」のカードを渡されるまで

ー児発管として大切にされていることを教えてください。

個別支援計画書には私の名前が載りますが、実際に子どもたちに手を差し伸べ、成果を出しているのは現場のスタッフみんなです。旗を振るのは私ですが、最終的にはチームの力。そこは常に忘れないようにしています。

ひとつ印象的だったエピソードがあります。以前、男性の職員に対して抵抗感があるお母さまと、多動傾向のある女の子がいらっしゃいました。私が担当になると決まったとき、正直「お母さまから嫌な反応が返ってくるかな」と身構える部分もありました。

ーその親子とは、どのように信頼を築いていったのですか。

現場のリーダーやスタッフが、うまく私を「味方だよ」と紹介して混ぜてくれたんです。2年という月日をかけてじっくり関わるなかで、少しずつ壁が薄くなっていきました。

最初はなんの意思表示もできなかった子が、次第に視覚支援のカードを使って気持ちを伝えてくれるようになったんです。ある日、その子がトコトコと私のところに寄ってきて、「おんぶして」というカードを差し出してくれました。あのときの喜びは忘れられません。お母さまからも「ありがとうございます」と言っていただけるようになり、チームのおかげでコミュニケーションが前に進んだ手応えを感じました。

目線を揃えるための共通言語をつくる

ー児発管という仕事ならではの難しさはありますか。

チームマネジメントです。いくら自分がこういうふうにしたいと思っても、お子さんやご家族、スタッフが一致団結して同じ方向を向かなければなんの意味もありません。そこで計画書の文言ひとつとっても、文章力が問われます。

例えば「挨拶をしよう」という目標を立てたとしても、いろんな挨拶の仕方があるので。ある人には「おはよう」という言葉が正解で、別の人はヨッと手をあげるだけでも十分かもしれない。チーム全員の目線を揃えるための共通言語をつくるのが、児発管の重要な仕事です。

ー当事者のお子さんもご家族も入れた「チーム」として、とらえているのが印象的です。

そうですね。あと他に通っている事業所や病院もです。ここにくるまでの過程を知るためにはみんなでつながっていかないと。その家庭の現在の状態やこれからどこを向きたいのかは、みなさんそれぞれ違います。自分たちはその子とサービス時間内しか会えないですが、家庭は365日ずっと続きます。だからこそ、少し先を見据えて「こっちだよ」と旗を振る、いい意味でのおせっかいな役回りがあってもいいんじゃないかと思うんです。

「今、手が痛いんだから手の治療をしよう」というのもひとつかもしれないけれども、特に今の事業所にきてからは「じゃあ、その手が治って元気になったらなにがしたい?」というところを大事にしています。

孤独な児発管を支えるパズルのピースとして

ー最後に、これから児発管を目指す方や、今悩んでいる方へメッセージをお願いします。

正直に言えば、児発管は「軽い気持ちではならないほうがいいよ」と言いたくなるくらい、責任の重い、いばらの道かもしれません。子どもが好きというキラキラした気持ちだけでは、乗り越えられない泥臭い部分もたくさんあります。
でもだからこそ、ひとりで抱え込まないでほしい。児発管はどうしても孤独になりがちですが、同じ悩みを持つ仲間とのコミュニティを大切にしてほしいんです。

ー栗原さんご自身の、これからの目標も教えてください。

児発管同士が情報を持ち寄り、支援の正解を見つけ出せる「新しい地図」のような場所をつくりたいですね。ひとりの知識では限界があっても、集まることで救われることがあると思います。

私はそのコミュニティを支えるパズルの1ピースでありたいですし、私自身もそんな大きな地図の一部として、誰かの力になれたらと思っています。結局、私は今でも、誰かを助けるヒーローに憧れているのかもしれませんね(笑)。

(撮影:櫻林栄吉、文・編集:コドモン編集部)

栗原さんが働いている施設
施設名:きみそらBase 登戸
形態:児童発達支援、放課後等デイサービス(定員:10名)、保育所等訪問支援
設立:2024年
所在地:神奈川県川崎市多摩区登戸2500 WEAVER PALACE1F

※2026年3月12日時点の情報です

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