看護師から児発管に。夫婦で起業した「誰もがホッとできる居場所」【田端久美子さん】

療育のひと 児童発達支援・放課後等デイサービス発達支援

小児科看護師から保育園へ、子どもと親に寄り添い続けた歩み

ー田端さんはもともと、小児科の看護師として働かれていたそうですね。

小学校のころから保健室の先生になりたいという想いがあったんです。高校の進路相談で「それならまずは看護師にならないと」と言われたのがきっかけで看護の道に進みました。卒業後は大学病院の小児科病棟で11年ほど勤務しました。そこでは難病や障がいを持つ子どもたちとの出会いがあり、命と向き合う場面も多くて、本当に大きな学びがありました。

小児科の仕事の中でも特に好きだったのが、行事係としての活動なんです。七夕会やクリスマス会、縁日ごっことか、とにかくなにかにつけてイベントを立ち上げては、新人なのに「劇をやりましょう!」って張り切っていましたね(笑)。家でも紙芝居や小道具を一生懸命つくっていて、親からは「あなたはなにをしに病院に行ってるの?」なんて言われるくらい、子どもたちと遊びを通して関わることが大好きだったんです。

ーその後、ご自身の子育ても経験されていますね。
はい。3人の子どもを育てましたが、長女が幼いころに体調を崩しがちで、中耳炎から肺炎になって入院……ということが繰り返された時期があったんです。当時は小児科のエキスパートナースで指導的な立場でもあったのですが、「自分の子ひとりケアできないなんて」と、すごく自分自身を責めました。それが一度、現場を離れるきっかけにもなりました。

ー一度、小児科の看護師を退職されたのですね。

小児科を退職して子育て中は近所の病院の一般病棟に勤めていましたが、やっぱり「子どもに携わりたい」という想いがむくむく湧いてきました。そこで、三女の出産後、生後2か月のときにずっと憧れていた保育園の看護師として嘱託で働き始めたんです。
保育園では看護師は一人職種。保育士さんの姿を見ながら「保育とはなんぞや」ということを一から学ぶ日々でした。障がい児枠のお子さんとも関わる中で、もっと学びたいと思い、発達支援アドバイザーの資格を取って、その子の特性に合わせた関わり方の大切さを痛感したのもこの時期ですね。

診察室で感じたもどかしさから、夫婦で事業所を立ち上げるまで

ーその後は、保育園での11年の勤務、子育て支援のインストラクターとしての活動等を経て、再び医療の現場に戻られました。どのような変化がありましたか。

小児科クリニックに勤務することになったのですが、そこには発達外来があったんです。障がいや発達の遅れを抱えるお子さんと保護者が、わらをもすがる想いで相談にこられていました。看護師として問診に入って、お家での困りごとを丁寧にカルテに書き留めるのですが、いざ先生の診察になると、検査結果の数値や言語理解の年齢だけを見て「じゃあ3か月後にまたきてね」と終わってしまう。

悩んでいる保護者の方に、薬を出して「様子を見ましょう」とスッと診察が終了する現実を目の当たりにして、違和感を覚えました。保護者の方々が抱えている不安に寄り添うためには、医療の現場だけでは難しい現実を目の当たりにしたんです。

ーそのもどかしさが、事業所開設のエネルギーになったのでしょうか。

そうなんです。私が問診で対応した保護者さまの悩みに対して、少しでも寄り添いながら話を聞いてあげられる場があればいいのに、と考えました。そんなとき、知り合いの方から「看護師さんだって児発管になれるんだよ、一緒に事業所をつくらない?」と声をかけられたんです。そのタイミングでご一緒することはなかったのですが、その言葉がずっと引っかかっていて。それから自分で調べて、児童発達支援の開業コンサルにたどり着きました。

ーそこから立ち上げに向けて動かれたのですね。

でも、こんなに大きなことはとてもひとりじゃできないなと思って。ちょうど夫が定年退職を迎える時期だったので、夕飯をつくりながら1時間も2時間も、私の熱い想いを夫にぶつけました。「私ひとりじゃ無理だけど、二人ならできる。助けて」って。初めて夫を頼る言葉を口にしましたね。その後、夫も「自分にできることがあれば」と言ってくれて、夫婦で進めていこうと決意したんです。

理念を形にするため、自ら児発管に

ー当初から田端さんが児発管を務める予定だったのですか?

いえ、最初は児発管は雇用するものだと思っていました。でもコンサルの方から「児発管は事業所の肝。いつ辞められるかわからないから、あなたがバックアップとして資格を取っておいたほうがいい」と助言をいただいたんです。それで開設後すぐに研修を受けに行きました。

その後、驚いたことに、実践研修を終えた直後の去年の10月に、前任の児発管の方から退職の申し出があったんです。資格をとっておいて本当によかった……と思いました。それまでは管理者として運営にまわっていましたが、図らずも自分自身が児発管の役割を担うことになったんです。

ー実際に児発管として個別支援計画の作成に携わるようになって、いかがでしたか。

今までも一人ひとりの個別支援計画が日々の支援に合致しているか、見直しをすることの重要性を常に感じていましたが、十分にはできていませんでした。そこで、児発管を兼務するようになってからは、私自身も直接支援に携わりながら、担当スタッフとたっぷり時間をかけて、一人ひとりのアセスメントを丁寧に行っています。そうすることで、お子さまが本当に必要としている支援内容をスタッフと一緒に考え、計画に活かせていると感じています。

家族がよりよく生活できる未来を目指して

ー支援を続ける中で、特にやりがいを感じる瞬間を教えてください。

子ども本人の成長はもちろんですが、保護者の方、例えばお母さまが「お母さん」になっていく姿に伴走できることが一番の喜びです。以前、精神的に落ち込んで、子育てそのものがよくわからず、自信をなくしていたお母さまがいらっしゃいました。表情も乏しくて、子どもとどう過ごせばいいかわからず困り果てていたんです。

私たちは、お風呂の入れ方や寝かしつけのコツなど、一つひとつ具体的なやり方を提案して一緒に考えていきました。すると、「家でやってみました! うまくいきました」という報告をしてくださるようになったんです。そのたびに、お母さまの表情が明るくなって、笑顔でお化粧をして、おしゃれをして来所されるようになったんです。

ー家族の生活そのものが変わっていったのですね。

そうなんです。子どもだけでなく家族もよりよい生活をできるようになることが、私たちの目指す療育のひとつだと思っています。お子さまの成長とともに、保護者の方が親としての自信がついて、家族の暮らしが心豊かになる様子を感じたとき、本当にこの仕事をやっていてよかったと感じましたね。


(お人形の「ひなちゃん」も田端さんのハンドメイド。服や靴の脱ぎ履きなど、ひなちゃんのお世話をする子どもたちの姿も)

職員も保護者もホッとできる居場所でありたい

ーお話をうかがっていると、これまでのすべての経験が今につながられていると感じます。

そうですね。看護師としての経歴、保育園での苦労、子育て支援のインストラクターとして保護者の方たちとふれ合った時間。そのすべてが、今の療育につながっています。実は私、ずっと自分に自信がない人なんです。「いいのかな? いいのかな?」と揺れながら進んできましたが、その都度、周りの方たちが私の想いを受け止めて支えてくれたからこそ今があります。

ー今後の事業所と田端さんの目標を教えてください。

「誰もがホッとできる居場所」でありたいです。子どもにとっては楽しいことがいっぱいで、保護者にとっては肩の力が抜ける場所。私たちの事業所は2階建ての一軒家です。お迎えを待つ間に、2階の一室で保護者同士がお茶を飲みながら、「あそこのトマトが安い」なんて他愛もない話をしてくれているのを見ると、いいぞいいぞ! って嬉しくなります。

今後は、もっと気軽に参加できる「茶話会」のような場を開催したいですね。保護者会・講習会のようなカチッとしたものではなくて、保護者の方たちが自分の困りごとをさらけ出し、刺激し合えるような、親としての強さを育める場が理想です。

ー田端さんが大切にされている「ともそだて・ともそだち」という考え方も、とても素敵です。

「ともそだて・ともそだち」という言葉には、お子さんの成長をご家族とともに喜び、保護者の方も親として一緒に育っていけるようにという願いを込めています。この考え方は職員との関係にも通じていて、私が一方的に指導するのではなく、みんなで学び合える環境をつくり、療育の質をさらに深めていきたいです。

職員に余裕がなければ、子どもへのまなざしが曇ってしまいます。だからこそ、誰かが「今日はうまく支援できなくて」と打ち明けたとき、「こういうのいいんじゃない?」「ダメだったら次はこうやってみよう」と自然に言い合える関係でありたいです。
前任の児発管が退職したあと、職員が「私たちも頑張るので、やりたかったことを思い切り出していきましょう!」と声をかけてくれて……嬉しかったですね。これからも思いをともにできる仲間たちとともに、この場所を育てていきたいです。

(撮影:櫻林栄吉、文・編集:コドモン編集部)

田端さんが働いている施設
施設名:児童発達支援ひなぎく
形態:児童発達支援(定員:10名)
設立:2023年
所在地:埼玉県新座市野寺3-7-27

※2026年4月28日時点の情報です

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